主観と客観

書いている人:ぼん(92年生まれ) 主に発達障害(ADHD、AS)について自分の見解を書いていきます。

主観と客観 二種のシミュレーション理論

私は発達障害の本質は、入ってきた情報をより分ける脳のフィルター機能にあると思っている。認識のリアリティの濃淡が、才能と性格の個人差を生み出しているのだ。
ヒントとなったのは以下の三つの記事だ。

 

ヒトはシミュレーションと行動観察を統合することで他者を理解する - 理研
https://news.mynavi.jp/article/20120621-a164/

脳の直観像記憶と知性のトレードオフ仮説
https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/074.html

サヴァン自閉症 美術的才能 ―国立特別支援教育総合研究所
http://www.nise.go.jp/cms/6,8759,13,257.html

 

サルは人間のような言語を持たない代わりに直観像記憶能力を持つ。自閉症の少女ナディアは言語能力と引き換えに、写実的描写能力を失っていった。オリバー・サックス著『火星の人類学者』でアスペルガーの科学者テンプル・グランディンも言っていたが、ASの一部は視覚的に考える。また、カナー型自閉症ではないアスペルガーの性格の人と会話して気づくのは、比喩が分からず、彼らが言葉を文字通りとしか捉えられないことだ。(ちなみにADHDである私は会話の細部を正確に記憶できない)。言葉の中にある感情を読み取ることができないのも、全体としての意図に結びつける総合能力の弱さにあるようだ。


一方、ADHDは事実を記憶し、行動をシミュレートすることができない。逆に、そうしたことにASの人は超人的な力を発揮する。ADHDとASには決定的に違う部分があり、両者の能力はトレードオフ関係にあるといえる。

 

違いを簡単に書き出すと、
ADHD ――完全な主観的、演繹的、抽象的思考→意図、意味についていつも考えている
AS ――完全な客観的、帰納的、具体的思考→行動、事実についていつも考えている

一番最初の理研の記事にあった「シミュレーション」が私風に言えば「主観的意味のシミュレーション」、「行動観察」が「客観的事実のシミュレーション」となる。

 

定型発達者、いわゆる発達障害でない社会の多数派は「知覚情報の抽象化フィルター」がほどほどに作動していることで、主観と客観の両方を理解することができる。

 

発達障害から見た多数派の不可思議な「普通」は、この二つが組み合わさって生まれる感覚のようだ。ADHDの場合はこれが働きすぎて、事実が脳に蓄積されない。ASの場合は働かなさすぎて、意味が脳に蓄積されないのだろう。蓄積されないので、参照することもできない。だから発達障害に何かを教えることは難しい。分からない部分は教えられても認識できないし、分かる部分に関しては教えられるまでもなく分かっている。手助けが欲しくとも、何を手助けすべきか分かりづらく、本人も困っていることが多い。