主観と客観

書いている人:ぼん(92年生まれ) 主に発達障害(ADHD、AS)について自分の見解を書いていきます。

発達障害の「型」―能動と受動

身近なADHDやASについて考える上では、「型」の違いについて考える必要がある。

 

私と母はいわゆる「のび太ADHD」で、「ジャイアンADHD」である父とはまた違った認識を持っている。友人にも積極奇異型ASと受動型ASが両方いるが、両者の雰囲気は全く異なる。受動型ASの友人は男女両方いるが、人格はともかくキャラクターがよく似ているので、「能動型か受動型か」という行動スタイルの違いは、「ASかADHDか」という違いと同じくらい本質的なものに思われる(この辺の具体例はやんばる先生の「意味不明な人々」http://dryanbaru.xyz が詳しい)。積極奇異という言い方は失礼に感じるし、発達障害はみな多数派から見れば奇異な存在だから能動型としたいが、言葉の認知度を優先して、積極奇異ASと書かせていただく。

 

行動スタイルの違いについては参考にしたものが「意味不明な人々」の諸々の記述と実体験しかないので根拠を示すのが難しいが、どうやら能動型は「自分が上であるのは当然なので周囲や相手を仕切りたい」、受動型は「自分は合わせるので相手にうまく仕切ってほしい」と考えているようだ。この性格の違いは多数派や動物にもあるが、発達障害の場合は主観と客観に偏りがあり、周りから浮いてしまうのだろう。発達障害は子供の頃は奇妙に大人びていて、大人になると子供っぽく見えると言われる(実はできない部分は幼児と同じレベルなのだが、他方の能力が優れているギャップでそうは見えない)。


これらをまとめると、たとえばジャイアンADHDなら「意味についていつも考えている+事実については認識できない+自分が上であるのは当然なので周囲や相手を仕切りたい」、受動型ASなら「意味について認識できない+行動についていつも考えている+自分は合わせるので相手にうまく仕切って欲しい」といった具合の簡単な式で示せる。身近な発達障害について一つ一つのトラブルに意識を向けると本質が見えずかえって混乱するので、シンプルに考えるのがいいだろう。